イギリス文学の散歩道ツアー
イギリスは、多くの文学作品を生んだ国です。その文学作品は、本となり、映画となり、物語同様、その世界観は多くの人々を魅了し続けていたのではないでしょうか?作品の世界観は作者たちが各イギリスの土地で育まれた心象風景によって生み出されています。 皆さん、これら文学を読んで、どのような世界をご想像されたでしょうか?その想像した世界が実際に目の前に広がる、そのような光景をご覧に頂きましょう。
イギリス小説:
☆ジェーンオースティン『高慢と偏見』『分別と多感』『エマ』など
☆ブロンテ姉妹『嵐が丘』『ジェーンエア』『ワイルドフェル・ホールの住人』
劇作家:
☆シェイクスピア『ロミオとジュリエット』『マクベス』『リア王』『ハムレッド』など
ファンタジー作品:
☆トールキン『指輪物語(ロードオブザリング)』
☆CSルイス『ナルニア国物語』
☆JKローリング『ハリーポッターシリーズ』
詩集:
☆ワーズワース『リリカル・バラッズ』
童話文学:
☆アラン・アレクサンダー・ミルン『くまのプーさん』
☆ベアトリクスポター『ピーターラビット』
☆ルイスキャロル『不思議の国のアリス』
イギリス文学の散歩道ツアー ツアー概要
ジェーンオースティン
『高慢と偏見』『分別と多感』『エマ』『マンスフィールド・パーク』『ノーサンガー僧院』『説得』 18世紀~19世紀の女性作家。イギリスの中流階級の女性の私生活、結婚模様を辛辣に、皮肉とユーモアを交えながら描いた書かれたこれら6作品は、今現在でも、どれほどの多くの女性ファンを、その世界観に引き込んでいったのでしょうか?それら作品は、近代イギリス長編小説の頂点とも言われおります。
バース
当時から、イギリスの保養地として有名だったバースに、移り住んだオースティン一家。暫くの間、この地に暮らしたジェーンオースティンは、生涯唯一の恋をしたり、プロポーズを受けたりしました。ここで暮らした経験が、後の彼女の作品に大きな影響をもたらしたとされています。 世界遺産として登録されている街、バース。チューダー式建築物の並びが美しいこの街に、ジェーンオースティンの博物館、「ジェーンオースティンセンター」があり、彼女がバースにいた頃の、資料がご覧になれます。
チュートン
藁葺き屋根が印象深い小さな村。ここで暮らしてい時に、作品を世に出しました。 ここでの生活の中、『マンスフィールド・パーク』『分別と多感』『高慢と偏見』が出版されました。あまり名の知られることがなかった彼女でしたが、彼女の作品の愛読者には、後の国王となったジョージ4世がいました。『エマ』は、彼に献呈されることとなりました。 ジェーンオースティンが晩年住んでいた家は、現在「ジェーンオースティン記念館」となっております。ここでは、当時の彼女の生活が伺われます。
ウィンチェスター
アジソン病を患った、ジェーンオースティンが、療養のため、ウィンチェスターに移りました。しかしながら、闘病むなしく、41歳の若さでこの世を去りました。彼女の遺体は、ウィンチェスター大聖堂に葬られました。その後、『ノーサンガー僧院』と『説得』が出版されました。 ウィンチェスター、古都として知られるこの街は、歴史上では、ローマ帝国時代の軍都であり、アングロサクソン時代、ウェセックス王国の首都でした。ここを首都としたイングランドの偉大な大王「アルフレッド大王」の像や、アーサー王の円卓の騎士の円卓、イギリス最古のパブリックスクール、当時の面影を残す城壁もあり、正に古都らしい中世の風格を持つ街です。
レイコック
「ハリーポッター」「ダウントンアビー」のロケ地となったこの村は、映画「高慢と偏見」のロケ地として使われました。 18世紀で時を止めたこの村、レイコック。数多くの映画やドラマのロケ地となるこの村は、古い家がそのまま残って立ち並び、正に映画のセットそのものの姿。
ピークディストリクト
彼女が「高慢と偏見」を執筆した田舎町ベイクウェル、映画「高慢と偏見」のロケ地とされた、豪華絢爛な「チャッツワーツハウス」、素朴ながら荘厳な「ハドンホール」があります。 ベイクウェル・・・「高慢と偏見」が執筆されたこの町は、実にイギリスのカントリーサイドらしい味わい深い町。ジェーンオースティンが、「高慢と偏見」の執筆のために宿泊されたホテルでは、昔、ここのシェフが、ジャムのパイに間違って卵を落として出来た、いわば事故の産物、ベイクウェルプディングが名物となっております。おススメグルメとして是非召し上がれ。 チャッツワースハウス・・・デヴォンシャー公爵家が今も住み、多くの美術品が置かれ、絢爛豪華な大邸宅。また広大な庭園も屋敷に負けないくらいの立派さ。是非ご覧あれ。ちなみに、動物に触れ合えるファームエリアや、庭園には迷路もあり、子供連れの方々にもおススメです。 ハドンホール・・・チャッツワースハウスとは、対照的な素朴でシックなカントリーハウス風。しかしながら荘厳な佇まい、内観は、また深い味わいがあります。ちなみに、ここには、陶器メーカー、ミントンの定番となったデザイン「ハドンホール」のモチーフとなった古いタペストリーが飾られています。
ウィリアム シェイクスピア
『ロミオとジュリエット』『マクベス』『リア王』『ハムレッド』『ヴェニスの商人』『真夏の夜の夢』その他 イギリスの劇作家であり、詩人。喜劇、悲劇、歴史劇と幅広いジャンルに渡って、多くの脚本をこの世に出し、エリザベス朝ルネッサンス演劇の代表的な人物と知られています。優れた観察眼を持ち、卓越した人間の内面を見事に表現し、イギリス文学において最も優れた人物とも言われております。また、彼の残した作品は、初期近代英語の実態を知る上での貴重な言語学的資料ともなっています。
ストラットフォード アポン エイボン
文豪、シェイクスピアの故郷として知られ、世界中から多くの観光客が訪れるこの場所は、中世の商業都市でした。 エイヴォン川のほとりにある、牧歌的で古きよき景観を伺わせてくれる街並み、木骨造りの建物が並ぶストリートは、とても印象的です。 ストラットフォードは、シェイクスピアの一族の屋敷が点在し、それらはシェイクスピアトラストによって管理されています。建物のなかには、当時のコスチュームに身を包んだスタッフが、楽しそうに解説してくれます。
ブロンテ姉妹
『嵐が丘』『ジェーン・エアー』『ワイルドフェル・ホールの住人』 シャーロット、エミリー、アンの3姉妹。小説が全盛期だったヴィクトリア朝を代表する作家。 女性の権利が認められなかった当時において、姉妹がそれぞれ書いた作品はイギリスの文壇を大いに揺り動かしました。この3姉妹の作品それぞれが、後世にいたる現代まで、知れ渡るということは大変稀であり、その作品達がどれだけ優れているかがうかがわれます。 3姉妹とも薄命でありながら、ヨークシャー地方の風吹きすさぶ荒地で強く生きてきた、女性達が見てきた世界観、どのような光景なのでしょうか?
ハワース
北のヨークシャー地方に、8月下旬からヒースが咲き誇る丘に、素朴ながらも奥深い色が特徴的な建物が立ち並ぶ、美しい田舎村。ブロンテ姉妹が育った家、ブロンテ一族が眠るパリッシュ教会を見ながら、可愛い店の並びにも入ってみましょう。北イングランドの素朴ながら人情的な人々が迎えてくれます。 そして村の周辺には、風が吹きすさぶ、荒涼としたヒースの大地が広がり、そこは正に小説の世界。ブロンテ姉妹の世界へ、更に踏み込んでみたいと思うのであれば、是非、ムーア(荒野)の大地を歩いて見てください。
ピークディストリクト
ジェーンオースティンの作品映画「高慢と偏見」のロケ地となった「チャッツワースハウス」と「ハドンホール」。これらは、また、シャーロットブロンテの作品映画「ジェーンエアー」のロケ地ともなりました。 ちなみに、ピークディストリクトは、イングランド最古の国立公園であり、地元の人々にとっては、湖水地方と並ぶ観光名所です。美しい景観と沢山の見所、ハイキングや自転車で回るコースも沢山あります。是非ゆっくりと滞在したいエリアです。
ノースヨークシャームーア国立公園
やはり、ブロンテ姉妹といえば、ヒースの荒野。そのヒースの名所として最も名高い観光スポット:ノースヨークシャームーア国立公園。 エリアとしては、ブロンテ姉妹とはあまり関連のない場所ですが、あの「嵐が丘」の大地を最も鮮明に見せてくれる場所ではないでしょうか?ここの紫に染まるヒースの大地は正に壮観、是非ご覧あれ。
スカボロー
ノースヨークシャームーア国立公園の隅に、かつて多くの商人達が重要な貿易拠点とし、栄えた港町があります。 13世紀に、貿易権を得たこの街には、イギリスのみならずヨーロッパ中から多くの商人が集まり、8月中旬から9月の下旬にいたるまで、500年にわたり、毎年「スカボロー・フェア」が開かれるほど賑わいました。(それも18世紀に終わり、現在は開かれてはおりませんが・・・) あの、有名なサイモン&ガーファンクルの歌「スカボロー・フェア」は、もともとは、ここの民謡にアレンジしたもの。 ここには、アン・ブロンテのお墓があります。29歳の若さで、他界した妹を悲しんで、せめて海の見えるところで・・・とシャーロット・ブロンテが、この風光明媚な港町にあるセイント・メリー教会にお墓を立てました。 彼女のお墓参りに是非。
トールキン&CSルイス
トールキン『指輪物語』『ホビットの冒険』 CSルイス『ナルニア国物語』 オックスフォード大学にある文学グループ「インクリングス」のメンバーであった二人。そこから世界3大ファンタジー、「指輪物語」「ナルニア国物語」が生まれました。(もう一つは、「ゲド戦記」アメリカです。)映画でも「ロードオブザリング」(指輪物語)、「ナルニア国物語」は数編で製作され、大ヒット映画になりました。イギリスは、数々の幻想生物を生み出した国、名ファンタジーが生まれるのもわかりますよね。
オックスフォード
オックスフォード大学の文学グループ「インクリングス」のメンバーだった、トールキンとルイスは、お互い作った、ファンタジー作品を見せ合い、交流していました。オックスフォードには、「インクリングス」のメンバーが集まっていたパブや、2人の家だった場所、2人のお墓があります。 彼らが学業に励んだ学び舎、後に教鞭を振るったオックスフォード大学。それぞれが、学業を収め、教鞭を振るったカレッジへもご案内いたします。
ウィリアム ワーズワース
『リリカル・バラッズ』 イギリスを代表するロマン派詩人。サミュエル・コールリッジと共作で1798年に発表した詩集「リリカル・バラッズ」は、ロマン主義運動の先駆けとなりました。湖水地方の大自然を、人間の内部にある、ありのままの感情を、純朴に、そして情熱的に表現しました。そして、自然のざわめきや人間の感情が一体となって、独特の詩的世界を作り上げました。 長命でもあり、73歳で、桂冠詩人となり、80年近く生きました。
湖水地方
詩人ワースワースは、湖水地方をこよなく愛し、その自然の美しさを表現し、多くの人々を魅了し続けました。しかしながら、それらの詩に魅了されて、多くの観光客が湖水地方に押しかけるようになり、その現状をワースワースは嘆いたという皮肉なエピソードがあります。 日本人の方々に大人気の湖水地方。ナショナルトラストによって管理されたこのエリアは、言わず知れた、自然の美しさは正に、ワースワースの心象風景、そのものなのですね。
ブラム・ストーカー
『吸血鬼ドラキュラ』 アイルランド人の小説家。劇に興味を持ち、ダブリン大学トリニティカレッジを卒業後も執筆活動をしました。ヘンリー・アーヴィングと知り合い、その後30歳の時に、アーヴィング劇団の秘書になりました 43歳の時に、アーヴィングの家でハンガリーのブダペスト大学の東洋言語学教授アルミニウス・ヴァーンベーリに出会い、図書館で「ワラキア公国とモルダヴィア公国の物語」に「串刺し公ヴラド・ツェペシュ」の記述を見つけ、1897年に『ドラキュラ』を出版しました。この作品を見たアーヴィングが演劇化したことにより、この小説は大ヒットしました。
ウィットビー
ウィットビーの港町の高台にあるウィットビーアビーとセントメアリー教会を、彼が訪れた時に、「吸血鬼ドラキュラ」の構想が思い浮びました。ウィットビーの図書館で「ドラキュラ」名前に会い、ウィットビーの民話を作品に盛り込み、このホラー小説の殿堂が作り上げられました。 作中では、ドラキュラ伯爵がウィットビーに上陸したとされています。ここで、どんよりとした雲の下、暗い雰囲気になれば、臨場感満点ではないでしょうか? ここに来るまでに、199段の階段を登ることになります。頑張って登りましょう。
JKローリング
『ハリーポッターシリーズ』 シングルマザーとして多くの苦難を乗り越え、見事書き上げられた「ハリーポッター」は、原作の本から映画まで、世界中の子供から大人まで、多くの人々を魅了させました。まさに現代の名大作家と言えましょう。
ハリーポッターロケ地(イギリス各地)
こちらは、ハリーポッターロケ地ツアーをご参考ください。彼女の思い描いた世界観をご堪能できるツアーとなっております。
アラン・アレクサンダー・ミルン
『くまのぷーさん』『赤い館の秘密』 ロンドン生まれのスコットランド人。「くまのプーさん」は、1人息子、クリストファー・ロビン・ミルンのために作られました。現作品に登場する少年「ロビン」は彼自身とされております。 日本では、童話作家として有名ですが、推理作家でもあり、彼の推理長編『赤い館の秘密』は、推理小説として名作とされており、そこに登場する素人探偵、「アントニー・ギリンガム」は、かの有名な横溝正史の作品に登場する探偵「金田一耕助」のモデルになったのは有名なお話しです。
ハートフィールド
イングランド南東部の典型的なかわいい田舎村。一般的に世界に広まっている「くまのプーさん」は、ディズニーバージョンですが、ここでは、イギリス発祥のクラシックなプーさんにも出会えます。村にある一軒の店、「プーさん横丁」で、プーさんグッツを見て、気に入った子がいたらお買い物、プーさんの世界に囲まれたティールームで一杯頂いたら、是非ウォーキングへ出かけましょう。 周辺には、少年「ロビン」が、「くまのプーさん」と一緒に駆け回った野原や、森があり、有名な「棒投げ橋」も健在。そこまで行く途中に、森に落ちている枝を拾うことも忘れずに。
ベアトリクス ポター
『ピーターラビット』『リスのナトキン』『グロスターの仕立てた』その他 イギリスの絵本作家として、「ピーターラビット」を始めとする、多くの生き生きとした動物たちの物語を書き、それら愛らしい動物たちの物語は、世界中の人々を未だ現在でも魅了し続けています。 絵本作家として知られる彼女ですが、優れた生物学者でもあり、沢山の動物、植物を観察したスケッチも多く残しており、それらから解るように、卓越した観察眼を持っていました。「ピーターラビット」などの物語が、なぜあれほど、世界中の人々に親しまれる作品になったのか、その観察眼の賜物ともいえるでしょう。
グロスター
グロスター大聖堂に続く小道の一角にひっそりとある、ベアトリクスポターの店には、ピーターラビットグッツが販売されており、奥に行くと、小さな博物館がございます。実際、ポター女史がグロスターを訪れた際に、街をスケッチして作った話『グロスターの仕立て屋』、この場所がこの話の実際のモデルになった店だそうです。 もしかしたら、あのネズミたちが、今でもこの家の隅や奥で、カタカタと服を作っているかもしれませんね。
湖水地方
ナショナルトラストの活動に熱心だったポター女史は、当時、イギリスが産業革命の最中にあり、自然が壊れていく状況に危機感を感じ、この美しい大自然の残る湖水地方を守るため、絵本の印税を使って土地や建物を購入してナショナルトラストを支援し守っていきました。 ポター女史が、それほどまでに情熱を向けて守ろうとした美しい大自然、とくとご覧あれ。絵本の中から、故郷の大自然を守ろうとピーターラビットたちも、頑張っていたのかもしれませんね(印税という名の援護ですね・・・)。
ルイス キャロル
『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』 イギリスの数学者、論理学者、写真家、作家、詩人。本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン 。ルイスキャロルはという名は、作家としてのペンネーム。 多くの物語や詩集を書き、複数の雑誌にも掲載され、作家活動としてもそれなりの成功を収めていた彼でしたが、オックスフォード大学で、クライストチャーチの数学講師として教鞭を振るっていた頃に、大学の学長の娘「アリス リデル」と出会いました。そして、後に彼女をモデルとして書き上げた作品が、かの有名な「アリスシリーズ」、大ヒット作品となりました。 その大ヒット作品は、ディズニー映画になるほど、世界中の人々に親しまれています。
オックスフォード
物語のモデルになった「アリス リデル」は、学長の娘として、クライストチャーチに住んでいました。そこで、リデル一家と交流が深かった、数学講師だったルイスキャロルと、舟遊びやピクニックを共にしている内に、アリスシリーズが作られました。 クライストチャーチの向かいには、「アリスショップ」があり、現在はオリジナルのアリスグッツが販売されていますが、ここは昔、クライストチャーチに住んでいた、アリスがよく、飴玉などを買いに来ていた、お菓子屋さんでした。 ちなみに、ルイスキャロルが、舟遊びの最中に「アリスシリーズ」を考えたと言われております。その舟遊びが「パンティング」。春先から初秋にかけて、参加できるオックスフォードの風物詩。是非、チャレンジしてみてください。もし、操縦に自信がない方でも、大丈夫。弊社のスタッフには、「パンティング」の名人がいますので、是非、お問い合わせください。
このツアーを体験したお客様の声
池田先生と児童文学研究御一行様
私がアイパッドで企画したウェールズ旅行プランは頭の中で作り上げたもので、実際に実現可能なものかどうか検証もせずにまとめたものでしたのに、よくもあそこまでつき合って下さったと今になって感嘆しております。特に、長距離の行程なのにむやみに忙しく走り回わさせてご面倒をおかけしました。
しかし、その行程を何とかこなして下さったおかげで私たちはとても素晴らしい旅行を楽しむことができました。厚く御礼申し上げます。
小峰様とイギリス文学愛好会ご一行
隠れたイギリスの魅力を堪能でき、皆さんも大満足のようでした。
これからますますお忙しくなるでしょうが、どうぞお元気で頑張ってください。
またお会いで来る日を楽しみにしております。
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